毒親VS奈緒&バカか・天然か⁉

毒親が私の幼少期から今までどんなことがあったのかを、赤裸々に綴っています。

出産(#^^#)

 なんだかんと文句を言いながらも出産近づいてくると母は、上の子たちが私とパートナーが病院に行った時のために泊まりに
来ました。
出産前から母がいることでぐちぐちと文句を言われながら生活するのはストレスが溜まります。
夜も気になり眠れなくなりました。

そんな時日中おしるしがありそろそろかなと思っていた時、夕方あたりからたまに「お腹が痛いな」と感じました。
それほどの痛みでもなかった為気にせず過ごしていました。
みんなが寝静まり一人眠れなくテレビの音を小さくして見ていました。
夜中の1時位になり15分間隔で痛みが来ました。
しかし2人生んだ経験もあり余裕かましてテレビを見てました。
5分間隔になりそろそろ動くかと思い病院に連絡・パートナーを起こし病院に行く準備・母に子供たちを頼み病院に行きました。

 病院に着くと子宮口が5センチほど開いておりそのまま入院。
立ち合い出産のためパートナーがいましたが何の役にも立たず、痛みで水分も取れない私の横でジュースを飲んでいます。
イラつきを感じつつ痛みと尿意がすごくベットとトイレの行き来をしていました。
赤ちゃんがおりてきているので膀胱が圧迫されてトイレにいってなかなか出てこない私を看護師さんが心配してカテーテル
入れることになってしまいました。
ベットで痛みと戦う中子宮口が全開になっても破水せず、看護師さんによって無理やり破水させられました。
痛みがピークになり陣痛から6時間で産まれました。
赤ちゃんの顔を見せてもらった後すぐに赤ちゃんは違う部屋に連れていかれました。
パートナーも赤ちゃんについていき、私は後処置に。
産まれてからすぐ言われたのが「出血が多すぎて危ない、早く縫わないと」と・・・
しかし二人産んで縫合と抜糸の痛みを覚えていたためわがままを言い「縫うのは嫌だ!痛いからやめて!」
医師は「縫わないと血が止まらないから」と説得されましたがお断り!!!
かわりに「安静にしていること、何かあったらすぐに看護師を呼ぶこと」を言われました。
こんな押し問答をしている中パートナーは「血が怖くて見ていられなかった」と立ち合い出産を望んだくせに
いっさい私のところに来ることはありませんでした(~_~)

息子よ・・・大丈夫か?

脱線しますが息子の保育園での出来事を少し・・・

息子はやんちゃほうで保育園の中で一番いろいろやらかしていたかもしれません💦

あるとき保育園で育てていたイチゴを外遊びの時に勝手に食べ先生から「お腹をこわすかもしれませんと」連絡が来たこともありまあす。

またある時は保育園の柱に登り遊んでいたようで他の子達も真似をしてしまうとのことで柱に張り紙と登れないようにテープが巻きつけてありました。

危ないからとフェンスを作り囲ってあったものをどうにも気になったのか、やらかしフェンスでケガをしてきました。
次の日保育園に行くとフェンス自体が危なくないように治されていました。

園庭で自分より大きなお兄さんに砂をかけられ息子もやり返したようなのですが、どうも大きなお兄さんは石を投げていたようで
それが額にあたり痛かったようです。
ですが、先生にも言わず迎えに行った帰り道「男は我慢。男は我慢。」とずっといいながら帰宅しました。
 家に着きよくよく話を聞いてみると園での出来事を教えてくれました。
自分もやった手前言えなかったようで話し終わると泣いてしまいました。
額を見ると少し傷があり腫れていました。
ちょっとこれは流石に他の子にもやってしまったら危ないと思い園に相談しました。
次の日の保育園では保育園児全員で園庭の石拾いをやっていました。

 こんなにもいろいろやってくれるやんちゃな息子・・・
将来が心配だよ(ノД`)・゜・。

妊娠5ヵ月まで気づかぬ妊婦(>_<)

 市からの助けもあり、徐々に太ってきてしまった私・・・
太ったことにより生理不順になってしまいました。
そこで産婦人科に行き1か月に1回ホルモン注射を打つようになりました。
生理がこず3回目の注射に行った時でした。
医師が「一応妊娠検査をしてみましょう。」と
結果・・・妊娠してました( ゚Д゚)
しかも5ヵ月というじゃありませんか!!!
全く気付かなかった私・・・
運転していて「右側が傾いているな。太ったせいだな」と思っていたのはパンク💦
「お腹のお肉がよく揺れるな。」と思っていたのは胎動でした(*ノωノ)
なんという素晴らしい勘違い!!

 市役所に母子手帳を貰いに行ったら案の定怒られました↷↷
「5か月まで気づかないわけがないでしょう」と・・・

 ここで問題だったのが精神科の薬を妊娠していたにも関わらずのんでしまっていた事。
お腹の赤ちゃんに影響が出るのではないかという心配(>_<)
結局大きな病院に移り、精神科と産婦人科がある病院にいくことになりました。

うつ病(-_-メ)

 育児とパートナーの離婚問題、母からの暴言により精神が壊れてしまいました。
何もやる気が出なく、すぐにイラつき、そんな自分が嫌で何度も自殺しかけました。
そんな時母から言われたのが「お前の体がボロだからそうなるんだ。」「私はそんなことになったことはない」と全く理解してもらえませんでした。
 パートナー付き合いと言い毎日のように飲んで帰ってきて午前様。
誰にも協力してもらえず、理解もしてもらえませんでした。

 あまりにもパートナーの協力のなさいくら言っても飲んでくる毎日に嫌気がさし、子供たちを寝かしつけたあと病院から貰った薬を大
量に飲み遺書を書き死のうとしました。
その日も午前様のパートナーは自殺を図ったことを知らず帰ってきてから驚いたようで、救急車を呼び実家に連絡をして子供たちを母にみてもらい警察の事情聴取を受けたみたいでした。
私は意識がもうろうとする中運ばれていくことに気づき、なぜか「保険証」と思い財布をもって病院に連れてかれました。
病院についてからの処置は、薬を飲んでから時間がたちすぎていたため胃洗浄をすることもできずに経過観察となりました。

 こそこそと病院費の話をしていいるのが聞こえ「10万はする」というのが聞こえました。
意識がはっきりしない中でもそこは冷静に「保険証あるから」といいました。
確かに保険証がなければ高額になるでしょうがきちんと持ってきていた私はある意味優秀だったのかもしれません。

 その後は市からサポートを受けながら、上の子は小学校に・下の子は保育園に預け一人でゆっくりする時間を作ることができ、自殺を考えることはありませんでした。

311事件(;゚Д゚)

子供が産まれ次の年に大地震がおきました。
幸運なことにたまたま実家から母と兄が来ていてパートナーも仕事の合間に家に帰ってきていました。
携帯がつながらない中一緒にいたことで無事を確認することができました。
しかしまだ余震は続き油断できない事、周りの状況がわからないことが怖くしょうがありません。
その夜は家の中で過ごすことに不安があり車の中で朝を迎えました。
その後は親戚の安否もわかり安心しましたが、ガソリン、食料、日用品等入手することができない事態になりました。

 しかしながら田舎の習慣で、スーパーが遠い為1っか月分まとめ買いするのが当たり前になっていた私は前日にちょうどまとめ買いしてありました。
困った時は助け合いが当たり前!
親戚の家は半壊状態でどうにもならないとのことでおにぎりと水筒にあったかいお味噌汁を作り届けに行き、親戚の近所の人にもくばり、そのまま家に泊まりに来ることになりました。
 次に問題となったのが赤ちゃんのおむつとミルクがないというパートナーの会社の方がいました。
ちょうどうちの子は離乳食に変えていく段階とトイレトレーニングをしている時だったので、このタイミングでミルクを辞め離乳食にし、おむつ卒業をしました。
その分、会社の方にミルクとおむつをあげることができました。

なんだかんだで実家に居たときの習慣が役に立つ結果になりました。

退院~育児って大変!!

息子が産まれてからの病院生活は、私からしたらつまらい生活...
二人目ともなると病院でやることは同じであきてしまいました。
そこでわがままを言い出産から5日目で退院させてもらいました。
 家に帰ると住み慣れた家がどれだけいいものかよくわかります。
しかしここから育児との闘い!
1人目は年長さんになりパートナーは仕事。
夜泣きで目が覚めないように気を付けつきっきりで面倒を見ていました。
朝になれば朝食を準備して幼稚園へ送り出し、洗い物、洗濯、掃除とやり、すきを見て晩御飯の準備をします。
誰も何も手伝ってはくれません。
そのおかげか自然と体重が落ちていき素の体系に戻ることができました。

 そんな中、母が親戚を連れて出産祝いを持ってきました。
事前の連絡は「明日は家にいるのか?」だけでした。
退院はしたもののまだ抜糸をしていなかった為突っ張ているように感じ、痛くて普通に座ることができません。
母と親戚が来た時も痛いため座れず横になって対応してしまいました。
そのことはきちんと説明しお詫びを述べました。
赤ちゃんを抱き満足すると親戚も一緒だったからか素直に帰っていきました。
私はまたボロクソ言われると思っていたのが何もなくびっくりしました。

 

出産!!

予定日が1日過ぎて病院から「陣痛促進剤を使いましょう。」といわれました。
前日から入院し朝から点滴で陣痛促進剤をしていくという事でした。

私は慣れてないベットと出産ということで、全く眠れませんでした。
朝になり点滴を始める為部屋を移動しました。
ナースセンターのすぐ近くのベットで点滴が始まりました。
彼も仕事を休んで一緒に病院にいてくれました。

なかなか陣痛がこずお昼御飯が出ましたが、眠くなり食べる気がおきません。
替わりに彼が食べていました。
その後も陣痛が始まらなくうとうとしていました。
彼は初めに私が寝ていた部屋で眠っていました。


そんな時、急に激痛が走り陣痛が始まりました。
ナースの方が子宮口を確認すると9cmほど開いていて急いで分娩台に移動することになり、
いっきに出産の準備が始まりました。
分娩台に上がるころには10cm開いており、先生も駆けつけてきました。
先生は診察するとなぜか分娩室から出ていこうとしていてナースに連れ戻されてきました。


陣痛が来てから約40分で出産しました。3200g越えの赤ちゃんでした。
かなりのスピード出産だったと思います。

彼は「なんだか騒がしいな」と思い部屋から出てくるとナースさんが赤ちゃんを
きれいにしている所を見て驚いたそうです。
それまでの私がうとうとしていて「まだ痛みないから部屋で休んでていいよ。」と
いっていたのに、ナースセンターに赤ちゃんがいるんですから・・・

私は「休んでていいよ。」とは言ったものの寝ていて産まれるまで気づかない
彼に苛立ちを覚えました。
きっと一生忘れないとおもいます。