毒親VS奈緒&バカか・天然か⁉

毒親が私の幼少期から今までどんなことがあったのかを、赤裸々に綴っています。

娘と私の退院(*^^)vからの旅行(#^.^#)

 娘の症状も安定し、私も退院することが決まりました。
しかし、退院したからと言っても娘と一緒に暮らすことはできなく自宅で私の症状が安定するまでは、
一緒に暮らせませんでした。

そんな時夫が、「気分転換に」といろんなところに旅行に行きました。
二人っきりでの旅行は初めてで新婚気分を味わうことができました。
上は青森から下は静岡、愛知、岐阜、石川まで連れて行ってくれました。
最後の旅行では伊勢神宮にいってお参りをしてきました。
ある意味とても充実した時間を過ごすことができました。

気持ちもリフレッシュして子供たちが帰ってくる準備も難なくすることができました。
症状も安定して一人づつ帰ってくることが決まりました。
流石に「3人が一気に戻ってくると負担が大きい」からという主治医のもと決まりました。

緊急事態!!!

 入院中に緊急事態が発生しました!
急にパートナーから連絡が来ました。
内容は1番下の子が3歳を過ぎたにもかかわらず「突発性痙攣をおこしてしまい救急車で私が入院している
病院に搬送されてくるから対応をして欲しい」とのことでした。
なぜ入院している私に連絡が来たかというと「パートナーが出張で北海道にいてすぐにこれないから」という
理由でした。
一応入院している私に負担がかかるから児童相談所の方とパートナーが話をした結果、私しかいないとのことになったようでした。
急なことに動転し看護師さんに支えられながら救急車が来る場所にいき着くのを待っていました。
病院に着いた娘は顔が真っ赤でぐったりしており意識もありません。
医師から今から「CTをとります。」と言われ娘から離されてしまいました。
そんな娘を見てそばにいることも検査のためできずに心配で泣いてしまっていました。

だいたいの検査が終わり点滴をしている娘にやっと会うことができました。
それでもまだ意識はなくつらそうな娘を見ながら医師から説明がありましたがほとんど聞いていませんでした。
入院の手続きをしてからは娘のそばにいることが許されました。

一方パートナーは北海道に出張で行っていましたが言葉どおり飛んで帰ってきました。

娘の容態は点滴のおかげか少しづつ意識が戻ってきました。
それまでは抱っこすることは許されず手をにぎることしかできません。
娘がうっすらした意識の中私に気づき抱っこを求めてきました。
看護師さんの許可を貰い娘を抱っこすることができました。
私が入院していなければなど罪悪感もあり、「娘を一生離すまい」と思いました。
しかしながらパートナーが病院につくと入院中の私は部屋に戻されパートナーが娘のそばにいることになりました。
心配な気持ちがぬぐい切れないまま自分の部屋で不安を抱えながら連絡を待つしかありません。

外が暗くなってきたころ娘が安定してきて大丈夫だという連絡を聞き一安心しました。
本当に急なことで今でも忘れることはありません。

入院(-。-)y-゜゜゜

一番下の子が産まれてから3年を過ぎたころ私の体調が悪くなり、入院することになってしまいました。
問題は子供たちをどうするか・・・
パートナー1人では面倒みきれない・・・
結局上の子2人は施設に・下の子は障害がある為ボランティアでやっている普通のお宅で
預かって貰うことになりました。
子供たちにはとてもさみしい思いをさせてしまう事は分かっていましたが、
入院のため致し方ありませんでした。
入院生活は規則正しい生活でしたが、どうにもご飯が食べることができず体重が落ちて行ってしまいました。
大部屋なこともあり周りが気になり眠ることもできませんでした。
大部屋は6人いました。
6人もいればいざこざもおきます。
それに巻き込まれたりもあり、体調がよくなることがなかなかできませんでした。
入院中パートナーは毎日のようにお見舞いに来てくれました。
パートナーは誰も家にいないということでよく出張にいっていました。
飛行機の距離の出張もあり、いろんなお土産を買ってきてくれました。
なかなかなじめませんが退院するまで我慢です。

障害のある子どもへの偏見(-_-メ)

赤ちゃんに障害があるということを母に伝えたとき言われた言葉は「おまえがポンコツだから障がい児が産まれたんだ。
昔はそんなことなかった。お前が悪い。」と理解はえられませんでした。

他にも補聴器を赤ちゃんがつけているだけで「変なの!耳聞こえないの?かわいそう!」と子供たちからいわれました。
大人でも手話で会話しているだけで笑われたりこそこそなしていることはよくあります。

私の考えが違っているのかもしれませんが、「眼鏡をかけているのはなにもわないのに、補聴器を付けているとかわいそうという。誰だって歳を取れば目も悪くなるし耳だって聞こえずらくなるだろうに、なにがかわいそうなんだ。歳を取ってから伝えたいことを伝えられない事の方がよっぽど辛いだろうに」とおもってしまいます。

ただ世の中生きていく中で私がいつまでもついていることはできません。
子供にも強くなってもらわないと傷ついていくばかりです。
偏見があることを理解し耳が聞こえないのは個性だと思ってもらえるようになってほしいとおもいます。
親のエゴかもしれませんが💦

新生児の障害(>_<)

 実は産まれたばかりのスクリーニング検査で耳が聞こえないことがわかりました。
妊娠が分かった時、精神科の薬を飲んでしまっていたせいではないかと自分自身を責めました。

左耳はほぼ聞こえなく右耳は静かな所での大きな声でする会話程度しか聞こえていないと・・・
そこからは検査・検査の日々でした。
他にも身長・体重・知能が他の子の半分しか成長していっていない事。
このことに関してはいくら検査をしたところで原因が分からなく、打つ手なし。
成長を見守ることしかできません。
しかし耳が聞こえないことは補聴器をすれば右耳は聞こえるだろうという事で、
私はベビーサインを使わず初めから手話でサインをしていました。
娘が産まれたとき「もし話が通じないから話をしない」っというようになってしまわないために
手話の本を買い勉強しました。
今では普通の会話位なら手話でできる様になりました。

子供たちの送り迎え💦

 小学生の娘・保育園児の息子・新生児の娘を連れて学校、保育園と送り迎えをしなければならません。
新生児は抱っこ紐で前に抱っこ、保育園児はおんぶ、小学生は手をつなぎ出発です。
前に5キロ背中に15キロ手をつないでない方には保育園に必要な荷物を持ち歩きます。
ある意味これもダイエットになっていたのかもしれません。
初めに保育園にいき息子を置いてから小学校に送り届けます。
帰りは逆に小学校まで迎えに行ってから保育園にいき家に帰ります。
これを2年ほど続きました。
2年もたつと10キロと20キロになっていました。
登校班がありそのペースを乱してはいけないため、おんぶにだっこで頑張りました。

パートナーが手伝ってくれる時もあり保育園の送りをしてくれることもありました。
1人手伝ってくれるだけでもとても助かりました。

産後太り ダイエット(*^^)v

 妊娠中に約25キロほど太ってしまい87キロになってしまいました。
子供たちを送り出し、やることを済ませ赤ちゃんがおとなしくしている時にダイエット開始です。
私のダイエット方法はWiiのシェイプアップボクシングです!
毎日の体重を目につくところに貼り自分で決めたノルマを日々こなします。
食事制限はしませんでした。
毎日欠かさず続けることで約1ヵ月ほどで60キロほどになりました(*^^)v

たまたま親戚に体重表をみられて正直に答えたところ「本当にゲームで痩せるんだ」とびっくりしたようで
仕事仲間の方に「たかがゲームでも本当に痩せるんだ」と言いふらされて

伝説になってしまいました。
恥ずかしい(*ノωノ)