祖父の死亡
私が中学卒業まじか、高校の合格発表前の時に一緒に住んでいたおじいちゃんが死んでしまいました。
前の日にお見舞いに行ったときは元気で「またあした。」と言って家に帰りました。
次の日病院から電話があり、「おじいちゃんが死んだ」という連絡でした。
「まさかあんなにご飯を食べて、おしゃべりしていたのに何で?」
という気持ちでいっぱいでした。
おじいちゃんは前もって相続争いにならないよう元気なうちに「相続は長男にすべて渡す」という生前贈与をやっていました。兄弟たちも皆それで納得していました。
私がおじいちゃんから貰ったものは携帯の番号でした。
私は今でもその番号を使い続けています。
そしてお葬式には代々のやり方で、お坊さんは3人。家でやること。
それを守る為、3部屋ほどの荷物を父の工場に移動して片づけました。
通夜の時点で沢山の方がきてくれました。
私の役割は、誰が来たかを書くこと、お茶出し、片づけでした。
やはり田舎の考えなのか、父は来てくれた人と話、兄は違う部屋で漫画を読んでいました。男は手伝わない。それが田舎の風習でした。
5日ほど慌ただしくなりましたが、こんなにも沢山の方が来てくれたのを見て、それほどいろんな方に思っていただいていたことを痛感しました。
落ち着いたころに考えたのは、お坊さんが3人...これは前に亡くなた人より増やしていくということで父が死んだら4人?母が死んだら5人?????
これからどうなっていくのか…
そしてもう一つ おじいちゃんが死ぬ前に「ゆびが曲がってしまってどうしようもないから治してもらいに行く」といって死んだ所と同じ病院にかかっていました。
同じ病院内ならカルテの共有はできるはずなのにしてありません。
よくよく調べたら「手の手術の時の薬と、今回の入院の薬がよくなくそれが原因ではないのか」と父、母に言いましたが取り合ってもらえませんでした。
親戚の中には看護師をしている方もいて聞きましたが、やはり私の考えと一緒でした。
世間体を気にする毒親は分かっていても何も言わず、病院を訴えることもしませんでした。
そして同じ病院の同じ病室で、母方の祖父、祖母・父方の祖父が亡くなりました。
それでも同じ病院に行くのは、他に病院がないからです。
私の心残りはおじいちゃんに高校に合格したことを伝えられなかったことが残念で仕方ありません。